例祭日 9月27日
鎮座地 南城内116-11(TEL 06-6401-6643)
≪お社の説明・御由緒≫
当神社は、明治十五年(1882)尼崎城址(西三ノ丸址)に櫻井松平信定公より尼崎城最後の城主 十六代 櫻井忠興公まで十六柱をまつるために建立されました。 当社御祭神櫻井家の祖、初代 信定公は、その勢力安定に尽力されました。 時代が移り、七代 忠頼(ただより)公が若くして亡くなられ、お家が逼迫しましたが、幼少の八代 忠重公と幼い主君を支えた忠実な家臣たちの血のにじむような努力と徳川家康公のはからい(櫻井神社所蔵尼崎市指定文化財 「葵大旗」)でお家再興がかないました。 十代 忠喬公は遠州掛川城より摂津尼崎城へ移ってこられ、櫻井松平家最初の尼崎城城主になられました。 代々の城主は、文学・芸能にすぐれ、中でも十二代 忠告公は、「亀文(きぶん)」と号して、多くの句を詠まれ その内の一句 「まづ霞む 竈々や民の春 亀文」は、境内の石柱(尼崎城外堀の橋の石杭の一部)に刻まれております。 尼崎城最後の城主 忠興公は、明治十年(1877)西南戦争が始まり、日毎に戦傷者が増え、その上 コレラが蔓延しているという惨状を聞き及び、有志救護団体「博愛社」を結成し医師看護夫を派遣、自らも戦地へ赴き敵味方の区別無く戦傷者を看護され「博愛の精神」(境内の石碑)を大いに発揮されました。 これらの功績により、明治政府・世界赤十字社に認められ明治二十年(1887)日本赤十字社は誕生に至りました。 又、学問向上にも尽力され、明治六年(1873)尼崎最初の学校、開明小学校を設立。明治二十二年(1889)には櫻井神社境内に尼崎最初の幼稚園(博愛幼稚園)が誕生しました。この時、子供たちの無事成長を願って祀られた博愛地蔵が境内にお祀りされています。 他にも境内には、元和四年(1619)築城当時の尼崎城外堀に架かっていた橋の石杭と礎石や弘化四年(1847)の尼崎城本丸御殿(上料理の間)の棟瓦などが残っています。 ※櫻井神社の宝物(尼崎市指定文化財)は、尼信会館(博物館)常設展示されています。