主祭神 素盞鳴尊(すさのおのみこと)
例祭日 10月第2日曜日
鎮座地 道意町5丁目17(TEL 06-6416-5617)
>>> 道意神社ホームページ(外部リンク)
≪お社の説明・御由緒≫
阪神尼崎センタープール前下車、線路に沿って西へ徒歩五分ほどのところに建つ。阪神尼崎センタープール前駅というと、どうしても駅の北側に広々と展開している競艇場に眼が向いてしまう。しかし、駅の南側の線路に沿った民家が、なかなか重厚な造りで並んでおり、尼崎の時代的な層の重さを物語っている。神社は、こうした重厚な造りの民家に沿って、西に歩いたところに建っている。このあたりは高架になっているので、電車に乗りながら尼崎南部地帯の工場群が展望できるようになっている。今日、多くの会社や工場に祀られている神社や神棚は、企業共同体の守護神である。祭祀を行っているところも多い。ただ単なる工場地帯と思って眺めているのと、毎月清められている会社・工場と思って見るのと印象がまた異なるのではなかろうか。世界をリードする日本の産業界には、こんな隠れたカミゴトがなされているのである。
当社は、承応2年(1653年)、当地の開拓事業に着手した大阪海老江(現在の大阪市福島区)の医師、中野道意翁が郷里の八坂神社を勧請したのがはじまり。
寛文9年頃は牛頭天王社とも称されており、30余軒の宮座を組織し、毎年3人を選出して宮守を行っていた。また3段余の土地にてその収穫をもって毎月、旧暦1月26日春祭、8月1日湯上祭、9月26日秋祭を斎行し、氏子衆を招きて饗応し、若衆は寺子屋中丁稚中が集まって参道に数百の献灯を奉納。また奉納相撲を行い大いに賑わったという。
明治6年(1873年)に村社に列格し素盞鳴神社となる。昭和27年(1952年)、宗教法人法による登録切り替えの際に現在の「道意神社」に改称された。
東の蓬川と西の武庫川にはさまれた当地は、往古葦原の生い茂る大湿地帯で、たびたび高潮被害に遭ったが、18世紀になると土地も安定し、綿作が発展していった。その後、昭和10年代に臨海部の工業化に伴い都市化が進められた。戦後高度経済成長期に入ると、人口の流入及び企業の進出が爆発的に増え、それに伴い当社神域の整備が進められた。
当社のように荒撫地を新しく開拓して神社を勧請した例は、他にも初島稲荷神社や元浜八幡神社などが尼崎にある。
宮司さんのおはなし
現在の社殿は、尼崎には珍しい盛り土に造成された場所に昭和38年に建てられた流造り。平成7年(1995年)未曾有の阪神淡路大震災にも耐えたが、平成13年に本殿の改修工事がなされた。絵馬堂には以前あった本殿の破風が飾られ、江戸時代の絵馬一体が奉納されている。
道意神社 例祭(10月13日) 本祭:だんじり祭(10月第2日曜日) 宵宮祭:カラオケ大会(前日の土曜日)
夜店には各種団体が一体となって店を経営。本職は3店から5店を入れて行われる。
鎮座地:道意町5丁目17(TEL 06-6416-5617)
阪神尼崎センタープール前下車、線路に沿って西へ徒歩5分ほど
駐車場:10台(但し例祭時は駐車不可能)
>>> 道意神社ホームページ(外部リンク)
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