主祭神 菅原道真(すがわらのみちざね)
例祭日 10月体育の日の前日
鎮座地 長洲本通3丁目5-1
≪お社の説明・御由緒≫
祭神の菅公は古くより学問の神として尊崇され、公にまつわる幾つかの伝承が残る。その一つに大宰府左遷の折、長洲の浦に舟待ちされ、村人は公より「人知れず移る涙は津の国の長洲と見えて袖とぞ朽ちぬる」の歌と自画像を賜った。公の没後、その徳を称えて叢祠を建て画像を奉斎したが、後世領主が他に移封された折に画像を強いて持ち出したところ凶事多く、返却したという伝えがある。本殿は棟札によると慶長12年の創建で桃山時代の様式をよく伝え、市の文化財第一号に指定されている。また本殿の野板から出てきた絵馬が市により修復され、尼崎で最も古いものとして再現された。平成2年に社殿が改築されたが、阪神淡路大震災により被災、平成8年再建。その後平成11年火災に遭うも翌年氏子の尽力により修復され現在に至る。また毎年2月には宮座が催される。
宮司さんのおはなし
御本殿は慶長12年(西暦1607年)創建。桃山時代の様式をよく伝え、市の文化財第1号に指定されている。
手水舎の裏には、菅原道真公が足を洗い清めたとされる菅公足洗之池があります。菅原道真公が陰謀により筑紫の太宰府へ左遷される道中、船で淀川を下り神崎川を経て大物が浦で潮待ちの為下船し、砂浜を長洲の里に向い散策している時、道真公の足元が砂で汚れたので、村の老婆が見かねて池の水で足を洗い清めた池と伝えられています。
昭和58年3月24日 指定
棟札により慶長12年(1607年)の建立と判断される。
一間流れ造り檜皮葺で色付けがなされている。小規模で一部補修が見られるものの軸部・組物などもよく残されている。桃山時代の建築様式をよく伝えており、大きい本殿と遜色がない。尼崎市指定文化財の第1号である。
平成9年、震災による本殿檜皮の葺替えの際、野地板に古い絵馬の断片が用いられているのが発見された。修復の結果、市内最古 延宝8年(1680年)の絵馬が含まれていることが判明した。外気に触れず色褪せを免れた為、描かれた当時のままの色を留めており、その意味でも貴重とされる。延宝8年から寛保元年(1680~1741年)の27面全部が平成12年3月23日、市の民俗文化財に指定された。
尼崎の歴史博物館に寄贈後、収蔵、保管されている。
・歳旦祭(1月1日)
氏子さんたちが初詣している中、社殿で祝詞を上げます。
・とんど(1月15日) 正月飾りや古い御神札などを境内で焚き上げます。
・祈年祭(2月25日) 春祭り。総代が御社殿に集い、粛々と行われます。また毎年2月には宮座が催される。
・例祭(10月体育の日の前日) 秋祭り。太鼓が地域を練り歩きます。
・新嘗祭(12月10日) 冬祭り。総代が社殿に集い、粛々と行われます。
鎮座地:長洲本通3丁目5-1
問合せ電話番号: 06-6481-6170(皇大神社)
市バス:JR尼崎駅から51・52番 阪神杭瀬駅から51番 乗車 バス停「天満神社」下車すぐ
駐車場:なし
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