尾浜 八幡神社 (おはま はちまんじんじゃ)

主祭神 応神天皇(おうじんてんのう)

例祭日 10月13日

鎮座地 尾浜町1丁目4-27(TEL 06-6427-7755)

≪お社の説明・御由緒≫

市バス「尾浜」下車、西へ500mほど歩いたところ、または「尾浜町1丁目」バス停前。庄下川に接して建つ。創立沿革は明らかでないが、当地尾浜の歴史とともに古く、天正年間に荒木村重滅亡のときの戦火に罹ったのではないかといわれる。現在の社殿と社務所は昭和47年に新造されたものである。旧時(律令時代)は、神仏混淆で、境内に大日堂が建っていた。現在、名月姫の塔(宝筐印塔)が当地境内にあるのは、その名残である。節分祭には盛大な餅まき行事が行われ、名月祭・観月の夕べが姫ゆかりの中秋の日に保存会の主催で行われている。

宮司さんのおはなし
社殿脇の大きな干支絵馬は宮司による手描きで、毎年恒例となっております。

名月姫物語の伝説

名月姫遺跡

神崎に、刑部左衛門国春(きょうぶざえもんくにはる)という人が住んでいた。国春には子どもがいなかったので、名月の夜、月に子宝の授からんことを祈ったところ、女の子が生まれた。そこで名月姫と名付けた。彼女の美しさは成長するにつれて増し、うわさは京の都まで届いたという。ところが能勢(大阪府)に住む武士が名月姫に一目惚れして、彼女を奪い去ってしまった。悲しみにくれた母はやがて亡くなり、父は巡礼の旅に出た。当時は平清盛の時代で、清盛は日宋貿易を進めるために、大輪田泊(神戸の港)の修築にとりかかっていた。しかし、工事は難航し、はかどらなかったので、30人の人柱を立てることにした。関所を設け、人柱にする人々を捕らえた。そのなかに国春がいた。人づてにそのことを聞いた名月姫は、清盛に父の身代わりになることを申し出た。しかし国春も娘の名月姫は助けたいと思い、お互いかばい合っている時に、平清盛の寵童 松王丸が国春親子の恩愛の情に感じ、また多数の人命を犠牲となすを悲しみ請うて自分一人が人柱となって海へ身を投じた。この松王丸の死によって国春と名月姫は助かり、再会することができた。

尾浜 八幡神社 おまつり

節分祭(2月3日)

神事に続き、3回に別けて、餅まき・豆まき神事が行われる。餅については毎年、3石(420kg)の餅米が奉納され、氏子中が小餅にしている。一日中多数の参拝者で賑わいます。

名月祭・観月の夕べ(中秋の名月の日・旧暦8月15日※9月~10月)

名月姫遺跡の前にて、神仏により供養祭を奉仕致します。主催は名月姫遺跡保存会(会員80名)

尾浜八幡神社 例祭(10月13日)

交通案内

尾浜八幡神社交通案内

鎮座地:尾浜町1丁目4-27(TEL 06-6427-7755)

JR尼崎駅・阪急塚口駅・阪神尼崎駅から市バス路線番号58番乗車 バス停「尾浜」下車 西へ500mほど

JR尼崎駅・阪急武庫之荘駅から市バス路線番号48番乗車 バス停「尾浜町1丁目」下車すぐ
駐車場:5台(但し例祭時は駐車不可能)


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