主祭神 伊狭城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)
例祭日 10月22日に近い土曜日曜
鎮座地 上坂部3-25-18(TEL 06-6492-0753)
≪お社の説明・御由緒≫
伊佐具神社は尼崎市で唯一の「式内社」です。「式内社」というのは、今から約1100年前の、延喜5年(西暦905年)に編纂が始められた法律書を『延喜式』というのですが、その全50巻のうち9巻10巻が『神名帳』といって、ここに記載された神社をこう呼びます。
創祠は明らかではありませんが、延喜年間以前であることは勿論のこと、社殿によれば、神功皇后が筑紫、今の九州においでの時、当社神前で祈誓されたといいます。それが仲哀天皇9年のことです。また、主祭神の伊狭城入彦尊(いさぎいりひこのみこと)は景行天皇の御子で、知恵と勇気に優れ、兄である日本武尊(やまとたけるのみこと)とともに、父である天皇の命のもと、諸国平定にご尽力され、領地を賜ったと『日本書紀』にもあります。伊佐具神社は往古よりの尼崎の歴史とともにある由緒ある古社であると言えます。勇壮な神賑行事に賑わいをみせる例祭をはじめ、四季折々の社頭の様子からも、神代より変わらぬ人々の神社、祭りを大切に思う心が窺えます。
宮司さんのおはなし
伊佐具神社周辺は稔り豊かな地域ですから、古来より当社には五穀豊穣、無病息災を祈念する人々が絶えませんが、祭神 伊狭城入彦尊の御神徳にあやかり、勝負必勝など心願成就を頼られる方も多いようです。
また、社殿が高くなっています。古墳の上に社殿が鎮座しているのです。
行在所(あんざいしょ)跡の碑
行在所とは、天皇が遠出をなさるときの仮の御所のことを言います。
あの「大化の改新(西暦645年)」の時の天皇である孝徳天皇が、難波長柄の豊碕(難波宮)に遷都なさったとき、当社近くに上陸され、風光明媚な景色をお歓びになって行在所「小墾田宮」を営まれました。
碑に「おはただの 板だの橋の と絶えしを ふみなおしても わたる君かな」(源実連)と刻まれています。
伊佐具神社を尊崇した「赤松円心」
赤松(則村)円心(西暦1277-1350)は、当初は後醍醐天皇を助けて働きましたが、建武の中興が武士団に不公平な政策であることに心を痛め、のちに足利尊氏に力を貸した、優れた武将でした。戦国時代まで播磨國を支配した大名、赤松氏の先祖です。
円心は幾たびもの合戦を経験していますが、当社近くに布陣して奮戦したこともありました。
社殿右手に舟形の大石が横たわっています。社伝によれば、この石の下には円心の甲冑など武具が、必勝を期して伊佐具大神に埋納されたと言われています。ただ、無礼に掘り起こされることを嫌って大石を被せるように納めたということですので、調査は行っていません。
『太平記』によれば、赤松方3千、鎌倉幕府方23万という圧倒的戦力差ながら、円心は勝利したとされています。
境内の一隅には赤松円心を偲び、供養したという塔頭が建てられています。
神仏混淆のなごり 白龍稲荷神社
伊佐具神社西にお堂があり、観音様が祀られています。この観音様はもとは福円山浄徳寺といい、伊佐具神社末社、白龍稲荷神社の場所にありました。そしてこのお稲荷さんのお社は一見してお寺のようです。
慶応4(1868)年3月28日、新政府はすぐそこに迫った明治に備え神仏判然令を発し、神社の神域に仏堂がないようにしました。神仏判然令といえば排仏棄釈と結びつけられることがありますが、地域の人々の神仏を敬う心がこのような穏やかな分離を行わせた証左ともいえるでしょう。観音様には新しくお堂を建立し、いわば空き家になったお堂をお稲荷さんのお社としたのです。
昭和63年4月1日 指定
由緒でも申しました「式内社」である伊佐具神社ですが、江戸時代中期に国学者の並河誠所という人が摂津の国の「式内社」の研究をして、後世に伝えるよう、これにあたる各地に標石を建てさせました。
拝殿の右手前の、高さ92センチ、幅24センチの石柱がそれです。「伊佐具社」と刻まれた標石は、昭和63年4月1日、尼崎市指定文化財となりました。
二段の台石(下;43×61 上;24×42)の上段には「菅廣房□」とかすかに見えるのですが、これはこの標石を寄進した山口屋伊兵衛のことです。
・ 伊佐具神社 例祭(10月22日に近い土曜・日曜)
毎年若干づつ異なりますのでご注意下さい
「チョキ チョキ ヨイト チョキ」「エーライヤッチャ アーカンヤッチャ」
伊佐具神社のお祭りで発せられる掛け声で、前者は御神輿の、後者は子供だんじりのものです。掛け声は地域によっていろいろなものがありますが、これは伊佐具神社だけのものではないでしょうか。
祭礼当日、朝10時、周到に準備された社殿に潔斎した神職が例祭をご奉仕します。例祭とは1年1度の、その神社の最も重要なお祭りのことです。その後続けて、伊佐具大神さまの御分霊を御神輿にお遷しする祭儀を執り行うと、いよいよ御神輿の渡御、子供だんじりの巡行が始まります。
氏子地域内をお渡りして人々の幸を願う御神輿、だんじりが、町の隅々を、大人たちの、また子供たちの独特で元気な掛け声とともに巡ります。夜9時、森閑たるべき神域が勇壮な雰囲気に包まれます。伊佐具神社独特の宮入の始まりです。宮入とは御神輿の還幸、神様の御霊代が本来の坐すべきご本殿にお帰りになることを言うのですが、伊佐具神社ではそれはすんなりとは行われません。
鳥居あたりから神輿を担いだ攻め方が社殿に向かって全力疾走しますと、社殿では迎え撃つように守り方が御神輿を押し戻すのです。重い御神輿を担いだむくつけき男たちが力一杯押し合いへし合うのですから、大変な迫力です。また、勇壮な伝統行事を拝見しようと境内は人でいっぱいですから、攻め方、守り方の気合いと取り囲む人々の熱気で常ならぬ盛り上がりとなります。この「揺り戻し」はおよそ30分も続きます。
宮司さんのおはなし
お祭りの日には、氏子有志の方々が出店をして楽しい雰囲気を演出して下さっています。どなたでもおいでいただけますが、当日お車の乗り入れはできません。まれに、玉垣や狛犬に乗ってまで宮入を拝見しようとする人がいますが、危険なことはなさらないようお願いいたします。
鎮座地:上坂部3-25-18(TEL 06-6492-0753)
市バス:JR塚口・JR尼崎駅発 路線番号12番 乗車
バス停「上坂部」または「若王寺」下車
近松公園北側(右手側)
駐車場:10台(但し例祭時は駐車不可能)
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