「一年の計は元旦にあり」と言うように、一年の節目として、日本人は正月を特別大切にしてきました。正月には年神様という新年の神様が各家庭に降りてこられると考えられ、その年の幸福を授けてもらうために、様々な習慣が定着し、現代もなお多くの日本人が大切に守りつづけています。
正月近くに(12月28日まで)なると、玄関口や門前に「門松」を立て、「注連飾り」をします。これらは正月に年神様を迎えるための準備です。門松は年神様が降りてこられる時の目印で、「注連飾り」は、神社の注連縄と同じ理由で、自分の家が年神様を迎えるに相応しい神聖な場所であることを示すためのものです。一般的に1月7日の松の内に外します。
新年の始めに氏神様にお参りします。
旧年の無事を感謝し、新年の更なるご加護をお祈りしましょう。
またご家族お揃いでお参りなら、家内安全や厄除清祓、合格祈願 等のご祈祷を受けて、家族の気持ちを一つにして、新年に臨んでみては如何でしょう。
神社にお参りの際に古い御神札や御守を納札所に納めて、新しい御神札や御守を受け、家庭でお祀りしましょう。
1月11日は、正月にお供えした鏡餅を下ろして鏡開きをします。重餅を斧や槌で割ってぞうに、ぜんざいなどにして、歳神様の恵みを受けるために食べます。新年の活動が新しく始まる日でもあります。
1月15日に、正月に飾った門松や注連飾りを神社に持ち寄って燃やします。燃やす時の煙に乗って、新年に訪れた年神様が天上に帰っていかれると信じられていたのです。今日では、環境問題にも配慮して、ビニール製・プラスチック製のものは絶対にとんどの火の中に入れないように注意を呼びかけております。
≪注意事項≫
・ビニール製・プラスチック製のものは各家庭で処分して下さい。
・注連飾りのダイダイ(みかん)も外してから、神社に持って行きましょう。
・ミカン・お餅・柿串などは、どうしても燃え残ってしまいますので、
・これらも各家庭で処分して下さい。
立春前日(2月3日)を「節分」と言います。節分とは季節の分かれ目のことで、昔は立春・立夏・立秋・立冬のすべてを節分といい、年4回あったわけですが、今日では立春の前日だけを節分というようになっています。春の節分だけが重くみられるようになったのは、春夏秋冬の季節の中でも長く厳しい冬に耐え、暖かい春を迎えるという人々の気持ちが非常な喜びであったし、草の芽生える春は農事の始まりを祝う心が重なったからだと言われています。
節分の夜には、季節の変わり目に起こりがちな災害や病気を鬼に見立てて追い払う「追儺(ついな)」(鬼やらい)という儀式をします。元は中国の疫病をもたらす鬼を追い払うおまじないでしたが、日本にも飛鳥時代に伝わったといわれており、慶雲三年(706年)に疫病が流行し、多くの死者が出たために、その年に「鬼やらい」をしたと記されているのが最初です。
次第に民間に広がり、「豆まき」をして邪気を祓うようになったのは室町時代からのことです。鞍馬山の鬼が都に出没して悪事を働くために人々が困っていたところ、毘沙門天のお告げで祈祷をして、鬼の住処の穴を塞いで、三石三斗の「いり豆」を投げつけて追い払ったという風習が儀式化して今日に伝わって来たものです。夜になると玄関、勝手口など、すべての戸を開け放ち、家長が升に入れた豆を手に玄関から各部屋ごとに出入り口のところで「福は内、鬼は外」と二回ずつ声を掛けながら豆を撒きます。豆を撒き終ったら、鬼は外に締め出し、福は逃げないようにとすぐに戸締りをします。このあと家族そろって豆を頂きますが、自分の数え年の年齢の数だけ食べると「健康(まめ)になる」と言われています。
また、神社でも節分祭が執り行われ、豆まき行事で賑います。
「祈年祭」は「としごいのまつり」ともいい、毎年2月17日に全国の神社で行われるお祭りです。 ちなみに「年」とは稲を意味し、稲穂を蒔(ま)く季節の初めにあたって、その豊穣(ほうじょう)を祈願するわけですから、いいかえれば人間の生命の糧(かて)を恵んでくださるようにとお祈りするお祭りといえるでしょう。 したがって、一粒の米にも神さまの御霊(みたま)が宿ると考えられているのです。 祈年祭では、稲だけでなく五穀の豊穣と国の繁栄、そして皇室の安泰や国民の幸福なども祈願されます。 この日は、宮中の賢所(かしこどころ)においても祭典が行われ、天皇が御親拝になられるということです。
※行事の日付は暦(こよみ)に記されている日付です。地域や神社によって行事の日が異なる場合があります。
茅の輪(茅草(かやくさ)で作られた大きな輪)は、正月から六月までの半年間の罪穢(つみけがれ)を祓う夏越しの大祓(おおはらえ)に使用され、それをくぐることにより、疫病や罪穢が祓われるといわれています。 くぐり方は「水無月(みなつき)の夏越しの祓する人はちとせの命のぶというなり」という古歌を唱えつつ、左まわり・右まわり・左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜けます。 こうして、心身ともに清らかになって、あとの半年間を新たな気持ちで迎えるのです。 芽の輪の起源については、善行をした蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)(素盞鳴尊すさのおのみこと)から「もしも疫病が流行したら、茅の輪を腰につけると免れる」といわれ、そのとおりにしたところ、疫病から免れることができたという故事に基づきます。
※行事の日付は暦(こよみ)に記されている日付です。地域や神社によって行事の日が異なる場合があります。
湯立神事は夏祭りに合わせて行われる事が多く、尼崎市内の神社でも行っているお社も多いです。神前の大釜に湯をたぎらせて、巫女が釜の中の湯に笹の葉をひたしては振り、祭りに参加している人達をお祓いし、残りの半年間、無病息災で過ごせるようお祈りする伝統行事です。
秋になると、米や穀物の収穫を感謝して、各神社で祭りが行われる。日本の祭りは氏子と氏神様、地域と氏神様がともに喜び、神様とともにある日である。地域の平穏な生活と子孫の繁栄を祈るこの祭は日本民族統合の源と言えるでしょう。
尼崎市内の神社のほとんどが秋に例祭(最も大きなお祭り)を行い、だんじり や行事で境内が賑います。
「新嘗祭」は「しんじょうさい」ともいい、「新」は新穀を「嘗」はご馳走を意味します。 毎年11月23日に全国の神社で行われ、新穀を得たことを神さまに感謝する新嘗祭は、五穀の豊穣を祈願した2月17日の祈年祭と相対する関係にあるお祭りで、この日、宮中では天皇が感謝をこめて新穀を神々に奉ると上もに、御自らも召し上がります。 新嘗祭の起源は古く、『古事記』にも天照大御神が新嘗祭を行ったことが記されています。 現在では「動労感謝の日」として、国民の祝日となっていますが、一説によるとその祝目名は、命の糧を神さまからいただくための勤労を尊び、感謝をしあうことに由来しているといわれています。
※行事の日付は暦(こよみ)に記されている日付です。地域や神社によって行事の日が異なる場合があります。
晦日とは毎月の最後の日、一年の最後の日は大晦日という。
大晦日の深夜に初詣でに出かけるのは、古い時代に神社にこもった習慣の名残りといわれています。また、この夜には火に関する祭や伝承が多く残っており、新しい火によって清める意味があり、境内で福火をたく習慣がある。
年末、正月を迎えるために、、家の内外を念入りに清掃します。これは清浄を重んじる年神様を迎えるための行事でもあり、正月準備の「事始め」に当たります。江戸時代は煮炊きは薪であったため、家中に煤がつくので、天井の煤まで払う必要がありました。陰暦の12月13日は「煤払い」の日と決められており、江戸城内にならって江戸中が煤払いを行ったようです。
煤払いが無事に済むと、商屋では使用人に ごちそう をふるまい、酒宴を開いて無事一年を過ごせたことをお祝いしました。現代でも会社などでも、大掃除の後に軽く飲食したりするのは、この名残りとも言われています。
※行事の日付は暦(こよみ)に記されている日付です。地域や神社によって行事の日が異なる場合があります。
知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢を祓い清めるための神事を「大祓」といいます。 毎年6月と12月の2回、その月の末日に行います。 6月の大祓を「夏越しの大祓」、12月の大祓を「年越しの大祓」ともいいます。 平安時代初期の国家の法制書『延喜式(えんぎしき)』にも、6月と12月の大祓が記されており、古くから行われていたことがわかります。 大祓には「形代」(撫物(なでもの)ともいい、紙を人の形に切り抜いたもの)に、名前と年齢を書き、さらにその形代で身体を撫でて息を吹きかげます。 そうすることにより、自分の罪穢を移し、それを海や川などに流しわが身の代わりに清めてもらいます。